2.2 自然暦(原始的暦法)


今回は、暦法の一つである自然暦(原始的暦法)についてご説明します♪

1.自然暦とは

人々が生活をするためには衣食住の確保が必須で、それは生存と直接的に結び付きます。食物も動物もいつでも手に入るものではなく、狩猟・採集には自然や動物の周期性や生態を知ることが必須です。農耕では、いつ種を蒔けばいいか、いつ収穫時期を迎えるか、その間自然災害から農作物を守るために自然現象に注意を払っていないといけませんし、狩猟では鳥獣の生態を把握していないといけません。
このように精密な暦法が生み出される前の、季節の移り変わりや動物の生態に基づいた原始的な暦法を「自然暦」といいます。気候や風土は地域ごとで異なるため、暦もその土地その土地で異なり、暦はその地域社会で共有している生活の規範というべき存在でした。

2.自然暦の例

自然暦には次のような暦があります。
『現代こよみ読み解き事典』(岡田芳朗・阿久根末忠編著,柏書房,1993,p296-298)から、引用させて頂きます。

【アイヌの暦】
北海道アイヌの暦は、道南と道北とでは年始が1~2ヶ月の相違があり、ここでは十勝山中のアイヌの暦が紹介されています。1年は3月から始まるそうです。

3月:イノミ チュブ=祝い日
   または トエンタンネ チュプ=日がそこから長くなる月
4月:ハプラプ チュプ=鳥が出て鳴く月
5月:モ キウタ チュプ=ひめいずいを取り始める月
6月:シ キウタ チュプ=ひめいずいを盛んに取る月
7月:モ マウ タ チュプ=はまなすを取り始める月
8月:シ マウ タ チュプ=はまなすを盛んに取る月
9月:モ ニヨラプ チュプ=木の葉の初めて落ちる月
10月:シ ニヨラプ チュプ=木の葉の盛んに落ちる月 あるいは、鮭の来る月
11月:ウンボク チュプ=足の裏が冷たくなる月
12月:シュナン チュプ=たいまつで魚をとる月
1月:ク エ カイ=弓が折れるほど狩をする月
2月:チウ ルプ チュプ=海が凍る月

【イロコイ族の暦】
アメリカインディアンのイロコイ族の暦です。イロコイ族とアイヌの暦は「始まる月と終わる月(または盛んになる月)」を一組にしている点や、太陽の光が増強される時期を年始としている点など、共通点がみられます。

太陽が再び大きくなる月
木の葉が水に落ちる月
木の葉がまったく水に沈む月
草木が芽ばえる月
果実が稔り始める月
草木が伸びる月
草木が豊かに育つ月
刈入れが始まる月
刈入れが終わる月
寒さが再びくる月
非常に寒くなる月
太陽が再びやってくる月

この他にもフィリピンルソン島のボントク・イゴロット族の暦や、台湾のブヌン族の暦があります。

3.日本での自然暦

日本は現在世界の大部分で使用されている太陽暦を1873(明治6)年の改暦から採用していますが、日本に最初にもたらされた暦は、6世紀から7世紀頃に百済を通じて伝来した中国、宗の元嘉暦であったといわれています。元嘉暦は太陰太陽暦でした。その後いくつもの中国暦がもたらされましたが、江戸時代には1685(貞享2)年、渋川春海によって初めて日本人による「貞享暦」という暦法が作られ、明治の太陽暦への改暦まで、いくつかの暦が製作されました。

それでは、元嘉暦がもたらされるまでの日本では、どのような暦法が用いられていたのかといいますと『現代こよみ読み解き事典』(岡田芳朗・阿久根末忠編著,柏書房,1993,p323-324)には、中国の暦法が伝えられるまでの日本の暦法は不明だが推測できるとして、次の通り書かれています。

「紀元前二、三世紀に水田耕作が行われるようになってから、水稲栽培を中心とした暦法が工夫されるようになった。これは『魏志倭人伝』の裴松之の注に、「倭人は正歳四時を知らず、但し春耕秋収を記して年紀となす」とあるように、中国で完成していた正確な暦法は知られていなかったが、水田耕作を基本とした暦法は存在し」「このことは、気象上の変化や動植物の動きによって、農耕の時を知る自然暦の段階にあったことを物語っている。今日でもある樹木の開花を「田打ち桜」と称して、水田の手入れをして農耕開始の準備を始めたり、山の雪の融け具合によって出現する「種まき男」や「白馬」(長野県)によって、種まきや田植の季節を知る風習がある」

また『暦の大事典(新装版)』(岡田芳朗ら編,朝倉書店,2021,p279)にも、自然暦の一つ「雪形」と呼ばれる民間伝承(民間暦)について、次の通り書かれています。

「山の雪解けが始まり,見え始めた山肌と残雪が作り出す形が,種を蒔いている爺さん,婆さんなどの人の姿や鳥,ウマ(駒),ウシ,ウサギ,コイ,チョウ,イヌ,ネコなどの動物に似た形,なかには鍬,鋤,鎌などの農具に似た形などに見え出す頃に,田畑に稲や豆の種をまき,海ではイワシやシロウオ等の春の漁を開始するという習俗である」

このように中国暦が伝来するまでの日本では、自然や動植物の変化から季節を知り、農耕に役立てていたことが推測されます。これは、限定された地域の気候・風土によって生まれた地域的性格の強いものですが、太陰太陽暦や太陽暦のように広範囲に均一的な季節を知らせる頒暦ではカバーしきれない、地域の実際の気象・気候を教えてくれる補足的な役割として大きな価値があります。

4.現代における自然暦の意味

現代は太陽暦が採用されていますが、次第に失われていったそれぞれの風土ごとに存在した多用な自然暦について、杉原学氏は「『ヴァナキュラーな暦』としての自然暦」(日本時間学会学会誌『時間学研究』第7巻,2016年12月,p47-56)という論文で、現代社会における自然暦の意味を問い直されています。


太陽暦とともに用いられている定時法は均質的な時間を生み「人間を『労働力商品』として交換可能な存在にし,産業社会における人間疎外の問題を生み出している」としています。
「ヴァナキュラー」とは直訳すると「土着の」「その土地固有の」といった意味で「ヴァナキュラー」という概念を最初に広めたのは、アメリカの建築家バーナード・ルドフスキー氏だそうです。ルドフスキー氏が光を当てたヴァナキュラー建築は「風土的な建築」「土着的な建築」と訳され、その地域の自然条件に沿って現地調達された材料を用いた建築、自然と人間の共同建築をいい「近代建築」に対置する概念として提示されました。ヴァナキュラー建築が近代建築に対置されるように、ヴァナキュラー暦=自然暦は、近代的な暦=太陽暦に対置されるとしています。自然暦が地域ごとの風土性に由来するのに対して、太陽暦はその風土性を捨て去り、一律的、普遍的な暦として世界を覆っていると、杉原氏は述べています。

また、ヴァナキュラーの概念を産業社会批判へと展開させた社会哲学者イヴァン・イリイチ氏を挙げて、自然暦と結び付けて論じています。多用な意味を内包するヴァナキュラーという語について「ヴァナキュラーとはラテン語の用語であって、英語として用いられる場合には、有給の教師から教わることなしに修得した言語にのみ使われる」言葉で「自立的で非市場的な行為を意味」し「市場では売買されない」「交換形式によって入手したものと対立する」「非商品性」といった意味を内包するそうです。このイリイチ氏の概念を自然暦において捉え「ヴァナキュラーな暦」とは何か、次のように述べています。

「このイリイチの概念から『ヴァナキュラーな暦』としての自然暦を捉え直すと,そこに見えてくるのは『交換不可能な時間』であり,『商品化されない時間』である。確かに時間を商品化するためには,時間が均質化され計量可能にならなければならないが,自然暦の時間は地域ごとの多用な時間である。その均質化を可能にしたのが,暦法としての太陽暦であり,時法としての定時法であった」

「時間の均質化=商品化」が人間の労働力を時間ぎめの「労働力商品」に置き換えることを可能にし、人間が市場価値という価値観だけではかられます。賃金労働は人間が交換可能な手段として扱われ、人間阻害を生み出していったことが、イリイチ氏が論じた産業社会批判の根底にあるものでした。この時間の均質化によって、自然暦と共にあった地域ごとの多用な時間も、近代的な時間に一元化されたと、杉原氏は述べています。太陽暦と自然暦のどちらが良い悪いという言及はされていませんが、自然暦という、その風土に根差した季節的な時間の流れがあったところに、気候風土が全く異なる地域を太陽暦や定時法という規則で均質化・一元化されることに対して杉原氏は問題提起をされ、市場経済によって阻害された人間性の回復のためにも、いま一度自然暦の価値を見つめ直すことを提示されています。

太陽暦という一律的な規則・規範を共有しながらも、その土地その土地の風土に根差した自然暦が継承され、まずはその土地に住む人々が自然と同化して生活を営みやすい環境であることが重視されるべきだと思いますし、その土地が持つ風土が失われないように、多様性が尊重されることを願います。

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