2.3 太陰暦


今回は、暦法の一つである太陰暦についてご説明します♪

1.太陰暦とは

太陰暦とは、太陰つまり月の満ち欠けの周期的変化を基礎とした暦法です。月は地球上のどこにいても天上にあり、形や見える時間を毎日変え、誰にでも理解しやすいことから、世界の全ての民族がかつて一度は経験したことのある暦法だといわれています。

月は約7日毎に、朔(新月)・上弦・満月・下弦という順で満ち欠けします。新月は、太陽と月が地球から見て同じ方向にあり、地球と一直線に並んで月が見えない「朔(さく)」と同じ意味で現在は使用されていますが、かつては朔を過ぎてから初めて見える細い月のことを呼んでいたそうです。

月が新月から次の新月(あるいは満月から次の満月)へ至る時間を朔望月といい、一朔望月は29.530589日で約29.5日です。小の月(29日)と大の月(30日)を交互に並べて12ヶ月繰り返すと354日となり、一太陽年の365日(正確には365.2422日)には11日に足りません。季節の相違を決める原因は、昼夜の時間の長短、気温の高低、太陽高度の他、地表における海陸分布と、これに伴われた季節風などで、第一原因は太陽の日射量です。ですので、1年間で11日の差が生じ年々累積すると、実際の季節と暦日にずれが生じます。月の満ち欠けによる周期的変化のみを基準にした純粋な太陰暦は、次項でご紹介するイスラム暦以外にも存在するかもしれませんが、私が調べた範囲ではイスラム暦のみでした。

太陰暦だけでは季節とのずれが生じるため、実際の季節と暦日が合うように、人類は様々な工夫をしてきたようです。太陰暦を使用しながら、2、3年毎に閏月を挿入して1年を13ヶ月とする年を置いたり、19年間に7回閏月を挿入するメトン法(ギリシア暦ではメトン法、中国暦では十九年七閏法という)という置閏法を用いたりして、太陰暦を太陽の運行によって生じる季節の変化に調和させた「太陰太陽暦」が古くから用いられてきました。

2.太陰暦の例

前項でも書きましたように、太陰暦として有名なイスラム暦について『現代こよみ読み解き事典』(岡田芳朗・阿久根末忠編著,柏書房,1993,p299-300)から引用させて頂きます。

イスラム暦はマホメット暦や回教暦とも呼ばれ、イスラム教の創始者ムハンマド(マホメット)が身の危険を感じてメッカからメジナに聖遷した年、ヘジラ元年(西暦622年)を第一年として決められた太陰暦です。

イスラム暦は30年を周期としていて、354日からなる平年19個と、355日からなる閏年11個とからなり、奇数番の月が大の月(30日)で、偶数番の月が小の月(29日)となっています。約3年に一度の割合で閏年がやってきて、閏日は年末に置かれます。

イスラム暦の朔望月の数値は非常に正確で、30864太陰月、あるいは2572太陰年(太陽年に換算すると2400年)に1日の誤差が生じるにすぎません。ただ、一太陽年とは毎年11日の差があり、32年でちょうど1年の食い違いが生じます。

イスラム暦は宗教暦であり農耕を考慮した暦ではないため、イスラム教圏が拡大し農耕民がイスラム教徒に含まれるようになると、別途季節を知らせる太陽暦が必要になり、イスラム教圏の国々の中でも、日本を含め現在世界の大半で使用されているグレゴリオ暦(太陽暦)を採用しているところも少なくないようです。宗教的行事はイスラム暦で行われます。

3.日本での太陰暦

日本でいつから暦が使われていたのかといいますと、前回の「自然暦」の回でも書きましたように、6世紀から7世紀頃に百済を通じて伝来した中国、宗の元嘉暦であったといわれています。それまでの日本では、自然や動植物の変化といった自然現象に従った自然暦の段階であったと考えられています。

日本に最初に伝来した元嘉暦を含め、中国暦は伝統的に太陰太陽暦で、太陰暦を使用しながら太陽暦である二十四節気を導入して、暦日と実際の季節とを合わせていました。ですので、月の満ち欠けによる周期的変化のみを基準とした純粋な太陰暦の使用は、私が調べた範囲ではありませんでした。ただ、日本がグレゴリオ暦を採用した1873(明治6)年より前は、1400年もの間、太陰太陽暦が使用され、日本の気候風土に合わせて改暦が行われてきました。月は月齢によって様々な名称があり、例えば17日目の月を「立待月(たちまちづき)」といい「夕方立ちながら待っていて、そんなにくたびれないうちに出てくる月」という意味で呼ばれていたように、当時の人々は現代の人よりも月の存在が身近にあり、日常的に月を愛でていたことと思います。

今回は「太陰暦」について書きました♪

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